人道的社会主義
#3
た(Ta)
![[image]](!essay-zindouteki_syakaisyugi/zindouteki_syakaisyugi.png)
社会主義は嫌いだ。その理想とする所が理解できない訳ではないのだが、どうしても個人の抑圧や指導者の崇拝といった否定的な現象面に目が向いてしまう。ところが、或る日、「人道的社会主義」なる言葉に出会った。なるほど、確かにありがちな社会主義体制では権威化したり全体化したりすることが多いように感じるが、その根本にあるのは過度に平等な社会の実現を目指すことによる民衆個人への配慮の無さが原因であるように思う。ならば、理想は理想として尊重するとして、行政レベルで執行者に人道的な見地からの配慮が持てれば、全体と個人のバランスのとれた住みやすい社会の実現も不可能ではあるまい。うん、なかなかいいじゃないか「人道的社会主義」。これからの私達が進むべき道筋はこれだな。などと、ひとしきり納得した後、ふと、気がついた。あれっ、でも、人道的にできるなら何だっていいんじゃないか?
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人道的封建主義
主人が家来を人道的に扱えるなら地方自治を中心としたいいシステムだろうな。
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人道的専制主義
君主が民衆を人道的に扱えるなら国家全体で豊かになるいいシステムだろうな。
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「そんなの不公平です!」
「いや、これは人道的差別化であって、君のことを考えてのことだ。何もかもが同条件なら君だって困るだろう。」
差別してたって、人道的なんだから、それは仕方がない。
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「いくらなんでも横暴です!」
「いや、これは人道的独裁権であって、君の為を思えばこそだ。指導力のない上司のもとで残業が増えるのは嫌だろう。」
独裁だからと言っても、人道的なんだから、それなら仕方ないよね。
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これはいよいよ超便利ワードだわ。応用範囲は非常に広い。というより、何にだってつけることができそうだ。人道的兵器という言葉を耳にする機会もあったし、人道的支援とか、その真に意味することは良くわからないけど、普通に使う日本語になってる。人道的年功序列、人道的精神分析、人道的刀鍛冶に人道的システム開発。人道に則った視点さえあれば、それは人道的チョメチョメだということで、最早、語中矛盾してる「人道的非人道」なんてのでも適当に言いくるめることが出来そうだ。この際だから家電メーカーは、全人道洗濯機や全人道炊飯器なんてのを作ってみてはどうだろうか。企業や消費者の社会的責任が取り沙汰される昨今、炊いたお米の半分が自動的、かつ、人道的に世界の恵まれない子供たちに配分されるという画期的な発明[1]は大ヒット商品となること間違いなしだ。
人道的非人道な合法的殺人器具と言えばギロチンが有名だよね。垂直なレールに取りつけられた巨大な刃で首を刎ねるギロチンは、まさに残酷極まる非人道な装置の決定版とも言えるだろう。地面に広がる大流血と跳ね転がる頭部は想像するだにおぞましい。しかし、発案者であるギヨタン[2]の思惑は違った。受刑者とはいえ、せめて苦痛を与えないようにしたい。人道的だね。そりゃあ、それまでは斧で切ってたわけだから。当時は公開処刑が一般的で、見物人からは、「あっけなさすぎる」と、逆に不満が出たとか。しかし、彼は人の為を思いこの新しい処刑具の喧伝に努めた。現代の医学的見地からしても、受刑者が受ける苦痛という意味では、絞首刑などの現行手段より優れているらしいです。ならば、非人道に見えるギロチンが実は人道的であったかというとそうでもない。ギロチンは処刑を簡単なものにしてしまった。それまでは処刑を執行することは大変な手間で、処刑人が実際に刑罰を与える罪人の数も限られていたが、ギロチンの登場によって一人で何千人と処刑が出来るようになってしまった。軽い罪でもたやすく死刑判決を下せるようになり、反逆罪、内乱罪などの密告を通じて恐怖政治へとつながる。非人道的だね。
個人的な体験で言うと、仲間の為と思ってしたことで総スカンを食ったことがある。本当に人の為と信じて一所懸命に頑張っても、その思いは伝わらず、逆に非難されて嫌われた経験もある。そうかと思えば、どうでもいいやと投げやりな気分でしたことで、「たけし、ほんま、ありがとう。助かったわ。」と感謝されることもある。何が人の為で何がそうでないのか。人の道とはかくも難しい。
人道、是か非か。