logo logo_atte 日記 随筆 何処
認知革命?
[image]
話題の『サピエンス全史』がしっくりこない。そういう説明の仕方も出来るよねとは思うが、議論は新規性に乏しく感じるし、今更的なことを万人受けしやすい言葉で書いているだけに見えてしまう。
同書では「虚構」をキーワードに神話や法人の成り立ちを語り、虚構を信じ込める能力を認知革命として、人類史における一大事変としている。これはこれで間違ってはいないと思うが、だからどうしたとも思うのである。更に言わしてもらうならば、なぜ認知革命が起こったかの説明をしていない。私が思うに、現生人類[1]を成功に導いたのは傑出した「想像力と創造力」である。結構昔から言われていることで、人類の本質が「想像性と創造性」にあるとの説は新しくもなんともない。想像力とは未来を見通す力であり、大半の動物が現在のみに生きている中で、人類は遠い将来を予測する能力を持ち、計画を立て、場合によっては今を犠牲にすらできる。そして、未来とは然るべき時まで存在していないのであり、将来予測は、存在しないオバケを想像して怖がるのと同じことである。[2]
創造力についても想像力と同根だ。石器一つとっても、形状を思い浮かべ、割れ方を予測しながら作り出す。予測が、心に向かえば「想像性」と呼ばれ、物に向かえば「創造性」と呼ばれる。結局、想像力も創造力も広い意味では予測力であり、高次の脳機能を駆使して実現前の状況を推し量る技能である。もちろん、これを妄想力や思い込みと呼ぶことは自由である。
サピエンス全史では認知革命が起こったのは7万年前であるとされている。人類史で7万年前と言われてまず思いつくのは「トバ・カタストロフィ」である。 7万年前、トバ火山による大噴火で地球規模の気温低下が起こり、当時のサピエンス[3]の人口は1万人程度にまで減少した。そして、少人数から再出発したために、サピエンスの遺伝的な多様性は失われてしまった。トバ・カタストロフ理論自体の事実性はさておき、現生人類は遺伝的多様性が低く、ボトルネック効果が観察されることは、統計的に有意な分子生物学の結論である。
サピエンスと想像力については脳科学からの知見がある。他人類に比べて、サピエンスに一番大きな特徴は前頭葉の肥大化と考えられている。化石人類の頭骨は大抵の場合、低くつぶれた形であり、額が傾き後頭部が突出している。対してサピエンスの額は垂直で巨大な前頭葉を収めるのに都合が良い。脳容量自体はネアンデルタール人の方が大きかったらしいが、後頭葉が大きかったり(視覚能力に優れていた可能性がある)、側頭葉が大きかったり(言語能力に優れていた可能性がある)したとしても、こと前頭葉に関してはサピエンスの方が大きかったはずだ。そして、前頭葉こそ諸情報を高次に統合・処理する場であり、ここから「認識」と「想像」が生まれる源泉であることが判明している。さらに現生人類では、A10神経が大脳辺縁系と前頭葉をつないでおり、想像性を発揮することは、快楽や恐怖と言った報酬系と密接に結びついている。
7万年前、サピエンスはボトルネック効果を経験した。この時、生き残ったのは、前頭葉由来の想像力に優れており、かつ、それが快楽や恐怖といった感情とも結びついているサピエンスの一部であった。想像力が生む未来を予測する能力と、それを感性として受け入れる力[4]を持っていたからこそ、彼らはボトルネック効果を生んだ何らかの大事変を切り抜けることができたとも言えるだろう。或いは彼らの生存は全くの偶然であったかもしれない。想像力などという高度な脳機能よりも運動能力や視覚能力に優れていた方が生存に有利であった可能性も高いからだ。いずれにせよ生き残った現生人類の祖先達は強かった。なんといっても想像力は戦争においてその比類なき力を最大限に発揮する。新たな戦術や兵器を作り出す。 A10神経により感情とも結びついているので際限がない。[5][6]
現生人類は想像力に卓越し、神話や法人を生み出すまでになった。未来を予測できることから、たとえ現在に犠牲があれど、その先を見据えることができる。想像性はA10神経を通じて感情と結びつき、共感という共同幻想を夢見ることもできる。『ファンタジーに付き合ってくれないというただそれだけの理由で相手を否定し、抹殺しようとする。[7]』気が付けば周りはすべて滅ぼしていた。現生人類の興隆は今までの定説通り「想像力」にありとしても問題はなさそうだ。記憶を頼りに書いているが、20年近く前には既に言われていたことのはずだ。
以上、想像が虚構であると言えばそうも言えるだろうが、所詮、どの言葉を選択するかというだけの話に思える。数学では2乗して-1になる数を虚数と言う。虚数と言えば実在していない印象を受けるが、英語で言えば'imaginary number'(想像された数)であり、虚が持つ「むなしい」や「ウソっぱち」といった意味はない。自然数以外は、分数や負数も含めて全て人類が想像した数であり、 'imaginary number'「虚数」も普通に数の一員である。原書を読んだわけではないが、「虚構」も元は'imaginary concept'くらいだったのではないだろうか。人類史と認知革命に対して「虚構」をキーワードとしたがゆえに、今までにない新規性を持つかに見えるが、「想像力」と言ってしまえば何十年も前から言われていたことである。
さて、まだ上巻の半分くらいまでしか読んでいないのだが、なんかモヤモヤするので、勢いで書いてしまった。今、第二章の農業革命である。これもなんだかなぁ。「人類は小麦の奴隷である」って、表現はキャッチーだし万人受けはするだろうね。でも、食う食われるの関係なんて見方を変えれば、食われる側が食う側を支配しているとも言える。食べる物がなくなれば食う側は否応なく滅びてしまうのだから。ちなみに、カイコなんて野生種は一頭も存在しない。歩けないし飛べない。交尾も人間がサポートしてやらなければならず、人間の介在なしには子孫すら残せない。それでも、養蚕農家は朝から晩までカイコの世話をして、生計を彼らに依存しているのだから、「カイコの奴隷」と言うことも可能である。全世界のカイコの頭数は人口よりもはるかに多く[8]、人類を奴隷化して最も成功した昆虫と言えるのではないだろうか。、、、と言うのは言ってみただけである。ただの言葉遊びである。どうとでも言えるという例である。
読み進めるうちに面白くなって来ればいいなぁ。[9]

  1. [1] ホモ・サピエンスとほぼ同義だが、狭義では後述するボトルネック効果を生き抜いた者とする。
  2. [2] オバケが怖いと思えるのも、出会えば酷い目にあう未来の予測とその回避行動である。
  3. [3] 同書と同じく、生物種としてのホモ・サピエンスの意味で使う。
  4. [4] おそらくこうなるという予測は感性ぬきには存在しえない。論理だけでは未来は全て未定であり、世界は複雑で確率的にさえ予言できないだろう。
  5. [5] 想像的活動をしているときの気持ち良さは非常に大きなものである。個人的には、食欲や性欲と言ったものより大きいように感じている。
  6. [6] ついでに言えば感情は想像力を亢進する。想像することが心地よいのだから、益々想像しようとする。
  7. [7] 西澤保彦著『神のロジック 人間のマジック』から引用。最近読んで面白かったミステリーの一つ。真相が早い段階で明かされていたにもかかわらずすっかり騙されました。
  8. [8] 世界の生糸生産量からざっくり計算すると、カイコの頭数は5000億頭になった。人口の100倍である。
  9. [9] 資源が有限である以上、人口抑制せざるを得ない。しかしながら、これは生物種としての使命に反する。よって、人類にはなんらかの価値革命が必要だろう。同書の結論はここいらあたりになるのではないだろうか。