コロナ禍についての考察
2020-12-15
た(Ta)
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新型コロナによる感染症が病気としての「枠」を越え、社会現象までもを引き起こす「禍」となったのはなぜなのか?病気としての流行、即ち、感染者数や死亡者数で判断するなら、これまでも、そして今でさえ、もっと深刻な病気は多々存在している。しかし、それらの病気は「禍」にまで発展していない。人間、生まれれば、死んでいく。当たり前のことだ。今まで日本では、毎年100万人以上、毎日3千人以上が、粛然従容として死んできた。新型コロナ(以下コロナ)は一体何が違って、ここまで大騒ぎし、死のリスクを恐れワクチンや治療薬を求めるのであろうか?
新型コロナによる病気としての症状は肺炎であるから、まずは肺炎の現状を分析してみよう。厚労省資料によると、肺炎は死亡原因の第四位。年間およそ10万人が亡くなっている。昨年2019年度は95518人であったようだ。その内、約25%は肺炎球菌が起因で、インフルエンザ菌[1]や肺炎マイコプラズマも5-10%くらい存在している。数で言えば肺炎球菌だけで年間2万人以上死んでいることになる。
肺炎以外に目を転じると、やはり多いのはガンだ。呼吸器系のガンで75394人が死んでいる。大半は肺癌であろう。意外な所では転倒・転落・墜落で9580人が死んで、不慮の窒息(モチでもノドに詰めたんでしょうな)でも8095人がなくなっている。誤嚥性肺炎が肺炎とは別立てになっていた。俗に「気管に入った。げほっ、げほっ。」ってやつだな。これが原因でも40385人が死んでいる。なんか、もう、死のリスクを恐れるなら、外出や食事もヤメたほうがいいんじゃないかって気にすらなってくる。コロナで死ぬ前に、道を歩けば転んで死ぬし、飯を食べれば窒息か誤嚥して死ぬんじゃないかと思う。年間のコロナ死亡者がたとえ10倍になっても確率で言えばそうなる。
何かがオカシイと思っていると再び医療崩壊が叫ばれだした。春頃にも散々マスコミや医療界隈が煽っていたような気がするけどその時は崩壊しなかった。ここに来て再び、コロナ患者が病床を圧迫し、医療器具はおろか、医師や看護師も不足しているそうだ。
なんで?
先に分析した統計によると今までも肺炎だけで10万人が死んできた。肺癌と他の呼吸器系疾患を加えれば20万人を超えている。死んだってことは当然その前は重症患者であったわけだ。それでも昨年までは用具も人員も足りていた。今年に入って1%(コロナ2000人/肺疾患200000人)の変動に耐えられないとか、そこまで用具も人員も無駄のない効率化を達成していたなら驚きでしかない。更に言うなら今年は感染症による受診者が激減している。手洗い・マスクの徹底で実際に患者が減っているということもあるだろうし、コロナ認定を恐れて少々の病気では病院に行かなくなったという例も多いだろう[2]。普通に考えれば医療が崩壊するなんてことはありえない。コロナへの特別対応にはどれだけのコストが掛かっているのであろうか。これは他の疾患と比べて見合っているのであろうか。
病院ではなく患者目線で考えるとどうだろうか?コロナは肺炎の起炎菌[3]であった。そして肺炎の起炎菌としての第一位は肺炎球菌で、こいつで年間2万人以上が死んでいることも先に述べた。さぞかし危険な病原で治療困難かと思いきや、なんと!ありふれた存在で、ワクチンまであるらしい。しかも、高齢者は定期接種が推奨されていて公的補助まで出るときている。それでも、接種率は一番多い65歳から75歳で40%程度にとどまり、半数以上の高齢者は接種していない状況である。一般の人間になるとワクチンの存在すら知らないし、当然ながら接種率はほぼ0%ではなかろうか[4]。
どういうこと?
以下、こんなところでしょう劇場。
ある葬式での会話。
「お祖父ちゃん、死んじゃったけど大往生だったよね。」
「80歳でしょ。死因は?球菌感染による肺炎?ふ〜ん。」
「肺炎球菌にはワクチンがあって予防できたらしいよ。」
「そうなんだ。でももう、体も弱ってたし、どっちみちなんかの病気で死ぬよ。十分長生きしたし幸せだったと思う。」
ある家庭での会話。
「おばぁちゃん。おばぁちゃん。日本では年に100万人以上死んでるの。でね。10万人は肺炎で、さらに2万人は肺炎球菌が原因なの。そんでね。肺炎球菌にはワクチンがあるの。さぁ、打ちましょ。」
「ありがとう。でも、もう年だからねぇ。結局病気したら死んじゃうわよ。ワクチンで肺炎球菌にかからなくても、インフルエンザ菌による肺炎で死んじゃうし、インフルエンザ菌でなければ、マイコプラズマ・ニューモニエによる肺炎で死んじゃうよ。それに肺炎以外で死ぬ可能性だって高いし、そこまでしなくても結構ですよ。」
このおばぁちゃんはちょっと知識がありすぎて不自然だけど、高齢者にとって「結局病気したら死んじゃう」は一般的な考え方に思われる。自分が70歳になったとしてもいちいちワクチンは打たないと思う。肺炎球菌ワクチン、インフルエンザワクチン、狂犬病ワクチン、日本脳炎ワクチン、肝炎ワクチン、水痘ワクチン、骨髄炎ワクチン、、、切りがない。適度な運動と十分な食事や睡眠で健康な体作りを心がけるほうがよほど効果がありそうだ。混乱耐性50%の兜、毒耐性50%の鎧、麻痺耐性50%の盾、魅了耐性50%の小手を装備するより、 HP50%アップしたほうがダンジョンでも生き残れるぞ。
季節性インフルエンザ(以下インフル、もしくは、インフルエンザ)はどうだろう。年間3000人以上の死者を出し、超過死亡概念(インフルが原因で間接的に死んだ)で考えると1万人が死んでいる。毎年1000万人が罹患し、1万人が死んでいるのにやはり予防接種率は50%もない。インフルエンザ脳症っていう重篤な合併症があって、一昨年は50人くらいが後遺症まで残しているようだ。コロナで子供の後遺症とかが発表されたら、発狂しそうな社会情勢だけど、小学校でのインフルエンザワクチンの集団予防接種っていつのまにかなくなっちゃったよ。なお、インフルワクチンの有効率については諸説あるようだが、おおむね50%と見積もられているようだ。全員が接種すれば患者数や死者数を半分にはできる計算。コロナは?今の死亡数で大騒ぎしてるのだから、この程度の有効率ではお話にならないだろう。[5]
ワクチンを摂取したからと行って罹患しないわけでもなく、症状が軽くなることが保証されるわけでもない。そうなると、ほとんどの人は気にしてこなかったわけだ。仏教思想と言うか、諸行無常と言うか、そう言う死生観だったんだね。高度経済成長期、空気感染する結核で何万と死んでたけど、強烈なスシ詰めで通勤してたわけだし。
考えれば考えるほどおかしい。オカシイ。病人目線で言ってもコロナ程度の死者数で大騒ぎする必要はないし、コロナ禍って大騒ぎすればしただけ医療提供者は特別対応に忙殺されるだけ。数字的には起こりえないはずの医療崩壊だとか言われている。騒ぎは社会問題になるくらいに加速しても、過去や数字を見て冷静になる気配はない。今までも沢山の人が死んできた。そして医療は十分であった。保健所も病院も無駄として減らされることのほうが多かったくらいだ。矛盾と不合理が存在するのは誰かが嘘を着いているから?
私こと銘探偵ランベルト岳による大胆推理。
- 厚労省がウソをついている。実は肺癌や肺炎の死者なんて年に100人くらいだ。そうなると、コロナの2000人は未曾有の危機ですな。
- 医者がウソをついている。本当は感染症患者が減って余裕綽々。あっ、でも忙しいことにしとこう。補助金が出るかもしれんし。
- 患者がウソをついている。大したことないけど重症の振りをしてたら、大げさな治療されて逆に死んじゃった。てへ。
いや、そんなことはない。彼らが嘘をついているとは考えにくい。そもそもウソをつくべき理由がない。と、なれば、仕掛け人によって虚構が巧妙に実在化されたのかもしれない。そして、そんな仕掛け人がいるなら、実はそこになんらかの利益があるからであろう。
黒幕説は好きじゃない。大抵はただの憶測で荒唐無稽だ。変な犯人探しをする前に、単にパニックになっているだけとしよう。関東大震災後に朝鮮人虐殺が起きたり、ハレー彗星出現時にタイヤチューブを買い求めたり、パニックになると人間は不合理な行動を引き起こす。しかしながら、ある程度の時間をおいて、冷静に考える時間を与えられるとパニックはすぐに治まるものである。暴動みたいなものは長続きしない。殺人などあえて不合理で人道に矛盾する行為が、冷静に考えられた上で継続される例としては国家による戦争が挙げられよう。しかし、これはパニックではない[6]。この場合、やはり仕掛け人がいて、仕掛け人なりの利益や打算が存在している。
コロナはすでに一年たった。冷静になれる時間がなかったとは思えない。コロナの一年間での死者は3000人に満たない。肺炎で10万人が亡くなり、肺癌でもやはり同じくらいなくなっている。呼吸疾患以外も考えれば、転倒や喉詰めでさえそれぞれ1万人死んでいる。ここまでわかっていて、未だパニックとは考えにくいのでやはり仕掛け人がいるのであろう。
コロナ禍の仕掛け人とは誰であろうか?一体、どのように状況をコントロールし利益としているのであろうか?
コロナで好景気と言えば、通販業界。アマゾンなど過去最高の売上を記録したそうだ。ゲーム業界も儲かっていると聞く。こういったインドア需要を満たす企業にとってコロナ禍はありがたいだろう。コロナ禍の継続を願っていてもおかしくはない。しかし、流石に偶然による受益者だろう。彼らがコロナの死者数や後遺障害などを喧伝して社会を操っている節はない。であらば、マスコミか。巣ごもりが増えれば視聴率が上がる。また、それなりに世論をコントロールできる立場にある。そう言えば、マスクだって鼻までしっかりと密閉しないといけないはずだったのに、テレビではいつの間にやら口元を覆うだけのプラシールドで大丈夫なことになっている。町中では通行人さえマスクをしているのに、マスクの重要性をアピールするコメンテーターは、スタジオで間隔を空けたり仕切板があればマスク無しだ。商店街まで出向いて「密です」なんて報告するリポーターにも矛盾を感じる。でもなぁ。これも弱いよなぁ。今どき、情報源はマスコミだけじゃない。ネットニュースやSNSによる情報収集も盛んな現在、マスコミに踊らされるほど民衆は馬鹿じゃない。自民や二階?アホらしすぎる。観光業界との癒着や意図的な利権もあるだろうが、そもそも旅行産業や飲食産業が大打撃を一番被っている。
そこではたと思い当たる。
果たして自分はどうであろうか?
コロナ以降で、収入が減ったわけでもない[7]。生活レベルが落ちるどころか、生活に支障が出ることもない。物価が安くなって、高かった食材がスーパーで安売りされるようになるなどメリットの方が多いくらいだ。大阪、中でも西成はゲストハウスだらけであったが、あれだけ多かった中国人も全くいなくなって静かになった。海外旅行に行けないのは不満だが、国内旅行は割安だし何より空いている。夏に一ヶ月北海道を旅行したが、キャンパーにとっては超快適であった。密になる要素もない。あかん。私はコロナ禍の受益者だ。明らかにデメリットよりメリットのほうが大きい。ランベルト岳は探偵のフリをした犯人であった。
そして周囲に目をやると、大半の人間はコロナ以降で収入が減っていない。そう、コロナによる収入減なんて今の所たった三割と圧倒的に少数者なのだ。収入が減らず生活に支障がない人間には、それだけで物価面と、10万円配布やGoToなど政策の面だけメリットがあることになる。年金生活の高齢者にとってコロナ禍は実にメリットが大きい状況であることがわかる。世の大半のサラリーマンだって給与が減らなければ、自宅勤務で通勤しないで済む分だけありがたい状況だ。受験戦争が終われば、通勤地獄が始まった。コロナ禍は地獄からの開放に等しい。専業主婦(主夫でもいいけど)だって同じだろう。わざわざ気を使う夫の実家になんて帰省したくないんだ。「本当は行きたいんだけど、、、ごめんなさい。」なんて善意を装えるおまけ付きだ。ついでに言えば、PTA会議や煩わしい学校行事がなくなったことも嬉しい限りだろう。政治家だってそうだ。コロナ禍で困ることなんて何もない[8]。彼らに民衆の痛みなんてわからない。政治家こそがまずは身を切れとはよく言われるセリフ通りだ。でも、そんなこと言ってる人間も実は大半が三割の辛さなんてわからない無意識の受益者だったのだ。
コロナ禍の構造がハッキリとしてきた。
国民の多数派が実は受益者であり、「コロナ禍が継続したほうがいい」のである。メリットのほうが大きいので積極的にコロナ以前に戻そうなどとは思わない。むしろ意図的に大騒ぎしてコロナ禍を演出したほうが理にかなっているのだ。大騒ぎは表面上「コロナ禍の収束」を謳っているところがなんとも巧妙なカラクリである。
コロナ以前に戻りたいですか?
「コロナに負けるな。」もちろん、こんな発言にも本心はあろう。しかしながら、好意的に言っても「コロナ以前に戻ってもいい」という消極的な肯定であって、同程度に「コロナ以降のこのままでもいい」と思っているはずだ。「なんとしても戻りたい(戻したい)」という意見は多数の声として聞こえてこない。
多数の人間が自分も受益者であることを意識し、そのメリット部分を素直に告白しなければコロナ禍は収束しない。
「今日、スーパーでこんな大きなサザエが安売りしてた。」
笑う裏には、泣かざるを得ない生産者や料亭のコック達がいるのだ。
「無駄な通勤が減るのはいいことだ。」
喜ぶ裏には、悲しむキオスクや駅ソバ屋があるのだ。
ほとんどの人にとって始まりは偶然の受益者であった。そして、自分が受益者であることを意識すらしていなかった[9]。しかし今や人々は自覚することを封印してしまったように思える。なぜなら、非常にわかりやすいデメリットでメリットは帳消しにされたと思い込めるからだ。
「コロナで不便になったわよね。以前の生活に戻りたいわ。」
しかし、七割の多数派にとってこれは口先だけである。よくよく考えればメリットの方が大きいのだから実に都合の良い免罪符になっている。表層で被害者ぶってデメリットを強調しながら、メリットを隠しておく[10]ではコロナ過が解決するわけがない。本当の被害者は不便なんかは当たり前の上に、収入が激減したにもかかわらず過労にまで追いこまれる人たちだ。
そもそも、社会が変わったんだ。栄枯盛衰。潰れる職種は潰れる。突き放すのもいいだろう。七割の人間には三割の人間を抹殺する権利がある。「コロナに罹ってももいいから仕事が欲しい」と言う西成の労働者に、「今はみんなで耐えよう。感染者が減れば元通りですから」と市職員は平然と言える。無茶苦茶素敵な正義の理論だ。収入が変わらず通勤も無くなったトヨタ社員は、収入を失い職安や面接に通うJTB社員に、「感染拡大を食い止めるために出来る努力はしましょう」と悪気を感じることも無く言えるのだ。これは社会の意思なのだ。多数派の盾は強固である。ダイヤモンド製で砕けない。
12/9時点のデータで2123名のコロナ死亡者のうち60%は80歳以上であった。 25%が70歳代で10%が60歳代である。現役世代なんて5%以下100人も死んでいない。こうなると、コロナで死ぬのは殺人事件の被害者になって他殺されるより難しい。 50歳以下に限定すると死者は31人のみだ。妊娠での死亡が32名だから、若い人間はエッチなことをやめたほうがよろしい。高齢者ならいざ知らず、若年層でさえ僅かなリスクを傘に、三割以下の(逆に言えば三割もいる)本当の被害者を無視して気に病まない。タイムリーなことにGoTo施策が一時停止になったようだ。今更、意外に思うことはないが、中止賛成派は約7割で収入に変化がない多数派の率に等しかった。もちろん、中止反対派は収入が減った人達だろう。綺麗な数の一致である。医者はいい迷惑かもしれない。コロナは重大な疾患であらねばならない。国民の期待のまま過剰な責任感を押しつけれれているように見える。政府は経済を優先したいようである。たった31名の死者である労働人口の中核を自粛させたくはないだろう。それでも多数派の声には逆らえない。
コロナ禍の真犯人は七割の国民であり、コロナ禍が収束しない原因は彼らが隠れた受益者だからである。国民の窮乏が叫ばれる中、本当の被害者は実は少数派で三割しかいない。多数の国民にとってコロナ禍とは実際にはコロナ益であったのだ。
解決編
さて、真犯人でありながら、問題を糾弾する探偵を装い、更には被害者面さえ出来る隠れ受益者が仕組んだコロナ禍の根は深い。ミステリーなら大傑作か、お話にならないレベルの凡作であろう。少なくとも、探偵=真犯人≒被害者で、共犯関係にある犯人が本当の被害者の二倍以上いるまでやれば天晴ではある。
- [1] 紛らわしいがインフルエンザウィルスとは別
- [2] 日本ではコロナによる病症よりも、感染することによる非難が怖いことが大きい。
- [3] 実際は菌でも細菌でもなくてウィルスです。
- [4] かく言う私も今回の調査中に初めて知ったよ。
- [5] コロナワクチンについて製薬会社は有効率95%などと宣伝してる。そもそもワクチンは抗体をつけるものであり、インフルのように抗体があっても罹る病気では高い有効率は望めない。有効率90%を越えのワクチンの存在する感染症は極めて稀だ。コロナは再感染するとの報道もあった(抗体は持続しない)。ここにも矛盾を感じる。
- [6] 人によっては戦争も集団ヒステリーでパニックの一種だと言うかもしれない。しかし、受益者の意思が存在しコントロールできている間はパニックと言うには遠い。
- [7] なんと、ゼロからは減りようがないのであった。
- [8] 支持率だけは気にするだろうけど。
- [9] 私も自分が受益者であることに最近気づいたばかりだ。
- [10] 無意識の人も多い。